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振り返れば楽しきかな我が人生 人生イメージ


結婚恋愛「マイとボク」 -10-
By 千里一歩さん

市川市
昭和45年。市川市駅近くのマンション屋上で。
住まいは市川駅近くの4階建てマンションに移った。やっと人並みの生活ができるようになった。この部屋には、義兄が再婚相手を口説くために訪れたし、マイの姉夫婦や妹夫婦、姪、甥や親戚も訪れ、ようやく安定した夫婦生活を見せることができた。長崎からも叔父や友人が来た。

ボクは東京・文京区にあるK編集プロダクションに就職した。やはり自分の好きな職業がいい。しばらくするとマイも東京・日本橋本町の、S現像・営業所に勤めた。ここでは数人の女子営業の中でトップの成績をあげるようになる。「職場でイジメはないか」と聞くと「私は、どこにいっても、一番強い女の友達をつくるの。だからいじめられない。いじめる側についているとラクよ。それで私は誰もいじめないの。で、いい子になる」という答えが返ってきた。猫以外のことではボクにほとんど反抗しないマイの強い1面を垣間見て驚いた。

ボクは、ようやく誇りある仕事に就いてやる気を出した。そこは、まぎれもなく編集技術のプロの集まりだった。社員は女性週刊誌のデスクを経験した男、小説を書いている男、新聞記者上がり、学歴も大学卒が多い。ベテラン連中は給料をもらいながらペンネームで市販誌の原稿を書いている。みんな個性が強く、社長はもっと個性が強かった。全体会議でボクの原稿が社長の槍玉にあがり、はずかしい思いをしたことがある。たった1行の「的にあてる」という表現がどういう意味だと1時間もかけて詰問されたのである。みんな、うんざりしていた。あとで聞くと、こうした「つるしあげ」はボクだけでは、なかったという。みんな社長を病的だと不満を持っていた。飲んだ席で社長と喧嘩した者もいる。

ボクは昭和45年に入社して一番、在職暦が浅く大人しかった。仕事はF銀行とM銀行のPR誌制作を担当していた。店周外訪用の地域新聞では能力を発揮した。ある日、先輩格のYが「全員で給料をもっとあげろと要求しよう。みんな賛成だ。場合によっては会社を乗っ取る。同調してくれ」という。ボクは返事を保留した。全体会議が開かれた。反乱を事前に知っていた社長はこう切り替えした。

「会社は解散する。辞める人には退職金3か月分渡す。個人的に私についてくる人は、いままで通りの給料を払う」と宣言した。15人のもの書き達は反論できず沈黙した。ボク1人だけ残り、他は辞めて行った。事前に仲間を裏切ったのはボクである。会社は黒字だ。得意先は都市銀行。先輩達は文筆に自信があり、得意先にも根回ししているというが、経営能力があるとは思えない。社長のいじめも見方をかえれば勉強になる。鍛えられていると思えば自分のためである。スパルタ教育だと思えばよい。とにかく、こうした反乱はボクにとって迷惑であると直接談判したのである。せっかく好きな仕事へ就いたのに、また転職するのもうんざりだった。
 
この判断に間違いはなかった。会社は存続し、得意先の都市銀行も社長とボクの二人を変わらず対応してくれた。やがて、社長からM銀行の仕事を分けてもらい、東京都千代田区内神田1丁目(神田駅2分)に事務所を構え独立したのは昭和51年である。はじめは個人経営だったが、のち義兄に役員になってもらい株式会社※※※・エディタプリントに成長する。事業目的は編集代行と印刷物受注制作だ。
 
マイも賛成してくれた。当然、マイは受付兼経理担当として同じ事務所に入ることになった。この一連の流れは、マイの言葉が大きい。じつは、K編集プロダクション反乱事件があった頃、マイは日本橋本町のS現像本社に就職していた。仕事は写真店まわりの営業だ。そこには大勢の女子営業員がいた。慣れない外周りを何とか克服し、やがてトップを争う成績をあげるようになった。小柄なのに一生懸命働くマイに取引先を変えてまで注文を出す得意先が増えたのである。

ボクはこう質問した。「仲間のイジメはないの?」「私は、まず誰が一番、後輩をイジメるのか。回りに嫌われているかわかると、その人と親しくするの。つまり、イジメ側に付く。そうすると、嫌われていた人は喜ぶし、イジメられないで済む。そういう人は大抵、実力もある。その力を分けてもらうこともできる。だから人間関係では、あまり苦労しないよ」だからマイは、どこの職場でも可愛がられているのだ。

「ふーむ」と感心した。この「嫌われている人に好かれる」という考えが、Kプロダクション反乱時に活きた。といってよい。ただ、女子と男子の職場は人間関係の複雑さが違う。男の世界は生やさしくない。K社長が分けてくれた銀行の仕事は手間が多く低予算であった。この行内誌編集代行だけでは商売にならない。そこで中小出版社に働きかけ、政治、経済、エッセイの記事下請けを、いくつか受注するようになった。しばらくしてマイは、自力でタイピストになり、2400文字の位置を覚え、機器を購入し、タイプ印刷を受注するようになった。ワープロが出現する数年前であった。

ある日、神田で自社ビルを持つ印刷会社の社長が訪れ、丁重に「お客に会って欲しい」といわれた。約束の日、その会社の会議室を訪れた。そこには大きなテーブルに10人位の貫禄充分な男達が並んでいた。一目で右翼や総会屋とわかった。M銀行で見慣れている。話は「三越を追及する雑誌を取材編集してもらいたい」という。条件はよかった。腹を決めて答えた。「私はM銀行の仕事をしています。三越はM銀行系。お受けできません」丁寧に頭を下げ、金儲けを捨てた。翌年「なぜだ!」と叫んで三越の岡田社長が辞任に追い込まれマスコミの話題になった。
(つづく)


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