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10月20日「江戸・近代の水事情」
1603年に徳川家康が、江戸幕府を開き、「水」が必要になりました。神田川、井の頭池・善福寺池の湧き水を水源としていましたが(神田上水)、江戸の都市化・人口増加により水不足となってきたようです。
「参勤交代」の制度で、諸国の武士が江戸に集まり、武士の生活を支える町人も増加してきたのが、原因のようです。そこで、多摩川の水を江戸に引き入れることになりました(玉川上水)。井戸を掘れば良いのにと思いますが、塩水が出てきて役に立たないそうです。現代のように掘削技術も発達しておらず、深く掘ることは困難のようでした。
江戸と言えば、「火事と喧嘩は江戸の華」を、連想する方も多いと思います。1657年明暦の大火(ふりそで大火)は、本郷丸山町の本妙寺から出火したのが発端で、江戸市街大半を焼いたそうです。死者は10万人と言われているそうです。隅田川に橋が架かったのは、この火事を教訓にしたからのようです。そして、本所の開発につながったそうです。低湿地・近い海岸のため、飲料水の確保が困難から、本所上水が生まれたそうです。
このころには、上水井戸ができ、町民は共同で利用しましたが、大名屋敷にはあったそうです。近代水道は、上水の水質悪化(糞尿・死体・生活汚水などの流入)から、コレラの流行へとなり建設されたそうです。現在の水道水(東京都)は、一度沸騰させ冷ませば、市販の水と変わらない味と言われているそうです。
今回の講師の先生も、元校長先生でした。区の文化財調査員をされており、講義は上手であっという間の二時間でした。
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