
こんぴら歌舞伎 |
町おこしのお手本となった「こんぴら歌舞伎」
毎年4月には、香川県琴平町の金丸座で「四国こんぴら歌舞伎大芝居」が催され、地元はもとより、全国から歌舞伎ファンが押し寄せて大変な賑わいを見せています。今年は第24回、しかも「瀬戸大橋開通二十周年記念」と銘打っていますので、そういえば橋が出来る前からあったのだと改めて思い起こされます。
この公演の第1回は昭和60年6月、この年は「十二代目市川團十郎襲名披露興行」が行われて歌舞伎界もひときわ賑わっており、この同じ時期に歌舞伎の新たなそして大きな流れが相次いでスタートしたことになります。もうひとつ付け加えるならば、市川猿之助による“スーパー歌舞伎”の第1作「ヤマトタケル」の初演は翌年の昭和61年、この演目もちょうど今月、新橋演舞場で上演され、一門の若手俳優たちが活躍しています。
さて「こんぴら歌舞伎」がなぜ誕生したのか、私は直接携わってはいませんが、記憶を辿ってみるといくつかのエピソードが思い出されます。きっかけとなったのは前年の昭和59年に放送されたひとつのテレビ番組でした。それはTBS系列の『素晴らしき仲間たち』というトーク番組で、毎週何人かのゲストがいろいろなシチュエーションでトークを繰り広げるという、なかなか楽しくかつ中身の濃いものでしたが、日本一歴史の古い芝居小屋で歌舞伎俳優たちが語るという企画が進められました。
場所は当時すでに国の重要文化財に指定され修復も終えた「金丸座」、そして集まった俳優は中村吉右衛門、澤村藤十郎、中村勘九郎(現・勘三郎)でした。金丸座は天保6年(1835)に建てられていますので、今から170年以上前の劇場、客席はすべて升目に仕切られた桟敷で、回り舞台やセリも設置されていますが、今ではもう目にすることの出来ない手動式、どれもが錦絵や本でしか知らないものが目の前に広がっているのですから本当にタイムスリップした気分でしょう。番組を見ていた私も、俳優達が周りや天井を見回しては目を輝かせ、ここでぜひ芝居をやってみたいと興奮していたのをよく覚えています。
その後は地元の熱意と俳優達の夢、そして歌舞伎興行元の松竹とが互いに化学反応でも起したかのようにパワーアップし、重要文化財での興行という高いハードルも見事にクリア、なんとすぐ翌年に実現してしまいます。但しその第1回公演は3日間、大阪の中座で行なわれた歌舞伎公演が引っ越し興行した形での短期公演でした。出演者は先の吉右衛門と藤十郎、翌年の第2回には勘九郎が参加します。
この「こんぴら歌舞伎」は単に客席の賑わいばかりでなく、地元青年部や「お茶子」と呼ばれる女性たちのボランティアなど、町ぐるみでの取組みが注目を浴び、歴史ある金毘羅宮をはじめ町全体の活況へとつながって行きます。「町おこし」の典型としてマスコミで紹介されて、やがてその流れは全国に広がって行き、また各地の芝居小屋も次第に脚光を浴び、秋田の「庚楽館」、熊本の「八千代座」、愛媛の「内子座」などでも次々と歌舞伎の巡業公演が組まれるようになりました。
今年の「こんぴら歌舞伎」の主な演目は市川海老蔵による「歌舞伎十八番の内 暫(しばらく)」と「夏祭浪花鑑(なつまつりなにわかがみ)」、特に「暫」は昔の芝居小屋の錦絵にも数多く残されている風景ですから、まさしく「動く錦絵」が見られそうです。とはいえチケットの入手は困難で、私自身、行ったのは過去に2回きり、おまけに時間もお金もない今日この頃です。
(つづく) |